清貧の思想

清貧の思想
中野孝次氏の「清貧の思想」を読了。20年ほど前の大ベストセラー書。それを10年ほど前に得意のブックオフの100円コーナーで買い、一昨日まで本棚に寝かしておいたものを手にとって読んでみた。バブル崩壊後の当時、バブルに浮かれた日本人に対して日本人が本来持っていたはずの価値観を再認識する意義をテーマにする本。100円で買ってしまったのが申し訳なく感じる良書。非常に爽やかな気持ちが得られる読後感です。

作者は西行、兼好、芭蕉、蕪村、良寛など清貧に生きた先達の系譜をたどり、私たちが今いかに生きるべきかを問う。所有に囚われ物質的な豊かさを享受しているようでいて心は物の奴隷となった貧しさ。それはバブル崩壊から20年が経っても変わらない。どんなに高品質なテレビを買ったところで、中から流れ出すのが空疎で無内容で下品な娯楽番組ばかりでは見ても仕方が無い。兼好の思考法を借りるなら、明日死ぬという時にテレビを見ている人がいるのか?ということ。死はいつ訪れるかもしれないとしたら、その死を前にしても肯定できるだけの心の生活の充実を図る生き方こそ尊い。そんな自明のことすら大半の人は現代の刺激的に溢れた生活の中で忘れてしまっている。

作者が紹介しているのは江戸時代以前の時代の市塵を離れ旅や文芸に明け暮れた先達ばかり。しかし、何も鴨長明や良寛のように山中の草庵に一人住むような必要以上の貧乏を勧めているのではない。現代に生きる私たちとは時代が違う。あくまでも心根の問題。心中に俗を去りさえすれば身は市井の中にいても風雅はありうることを発見した蕪村。身は市俗の中に潜めながら心は塵外に遊ばせる。芭蕉後の俳諧の第一人者であり、離俗に心を用いた人でありながら芭蕉のように旅を住処とする生涯を真似ずに市井に潜んだ蕪村の生き方こそ、現実的な生き方として私は惹かれるのです。

しかし、本書を読んでいて惜しむらくは自分自身の浅学菲才さ。中野孝次氏の文章は非常に美しい日本語なのですが、正直なところ読めない漢字が多い。解説はあるにしても古文や詩歌の引用も読み下すには中々骨が折れる。読んでいる間は相当辞書のお世話になった。従って全て胃の腑に収まった感じは残念ながらしていません。5年後くらいにもう一度読み直したいものです。

「生は来にあらず、生は去にあらず。生は現にあらず、生は成にあらざるなり。しかあれども、生は全機現なり、死は全機現なり。しるべし、自己に無量の法あるなかに、生あり、死あるなり」

道元禅師の「正法眼蔵」からの力強くも美しい一節。今ココ(hic et nunc)の時を充実して生きる者の生こそを全機現という。そうありたい。


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