
みなさま、昨日の元日は初詣にお出掛けになりましたでしょうか?我が家も午前中は
例年パターンで近所のお寺と神社をお参り。夕方からは多少時間が出来たので1冊の本を手に取り読み始める。そんな正月早々ハードなヤツに手を出してしまいました。鈴木大拙の「日本的霊性」。仏教哲学の大家が昭和19年に出版した現代仏教学の頂点をなす名著と云われる本。世の中が正月気分に浮かれる今だからこそ考えを巡らせてみたい。
大半の日本人が日常生活では全く意識することのない宗教観というもの。しかし、正月ともなれば雪崩の如く神社仏閣に押し寄せる不思議な光景。まあ、それはクリスマスとかも同じで単なる横並びを好む根性だろうが・・。そんな日本人の宗教意識を含めた精神性のルーツを探る。一行でまとめれば鎌倉時代に広まった禅と浄土系思想によって顕現し、その霊性的自覚が現在に及ぶと著者は指摘し、特に浄土系思想による霊性的自覚の喚起と呼応に記述の大半を費やす。
しかし、ガツっと腑に落ちたかと問われれば正直なところ難解な表現に惑わされる。恥ずかしながら読めない漢字に辞書を引くこと度々。著者は個己(という言葉も著者の造語だろう)が有限の自己を超えて無限の超個己に相応したという直観が即ち霊性的自覚であるという。260ページに渡る本文は多少の表現を変えながらその繰り返し。何となく分かるといえば分かるが・・。その理解には今しばらくの時間と経験により消化する必要があります。自身の浅学菲才さが恨めしい。
まあ、脳ミソも筋肉と同じで鍛えなければトシとともに衰えます。「読む」というより「見る」という表現が相応しい流動食のような文章が巷間には溢れる。それに反して歯応えがあり、噛み締めるほどに深い味も出る文章です。今年はそんな思考思索を深める本に多く接したい。正月元旦の穏やかに流れる時間の中でそれを味わえたことに無上の幸せを感じたのです。その歓びも、南無阿弥陀仏。