
夏の盛り。朝日が昇ると自宅の庭木にとまったクマゼミが一斉に賑やかな合唱を始める。そんな蝉時雨を聞きながら藤沢周平の「蝉しぐれ」を読了。ここ最近は本を読むといっても細切れの隙間時間を埋めるような感じでしたが、この週末は久しぶりに時間を忘れて一息に読み続けた。そして今、暑さを忘れるような清涼感に浸っています。
ストーリー的には悲運に翻弄された主人公の少年藩士が淡い恋を胸に抱き続けながらの成長を描くラブストーリー。父親も死の犠牲となった権力の内部抗争に自らも巻き込まれるも、幼馴染みとの友情や剣士としての上達に支えられながら筋が通った生き方を貫き通す。短くまとめればそんな感じですが、評価の高さに違わぬ作品でした。
もともと歴史小説とか時代小説は好んで手に取りませんでした。二十代前半の頃、一般常識的に
司馬遼太郎の主だった作品を読んだ時期はありましたが、どうも説教臭く感じたのも逆に遠ざかってしまった理由。しかし、この「蝉しぐれ」はストーリーも然ることながら、タイトルの通り自然や季節の美しい描写が印象的。そこに登場人物の心象と成長を重ね合わせる。
「そして、その瞬間にも、橋の下をたくさんの水が流れ、去った」
「蝉しぐれ」には全く関係無いが、小説家の開高健が様々な小説やエッセイの中で好んで使った言葉。「蝉しぐれ」の中で主人公とその友人が交わすセリフにも似たような表現があった。開高健はヨーロッパの詩人から引用し、「蝉しぐれ」は孔子の言葉から引用しているが、その意味するところは同じ。色々なことがあった。しかし、人はみな生きていく。