
この年末年始の休暇。6日間もあるので本を3冊読むことを自らのノルマとして課した。結果は2冊を読了、3冊目を数ページ読みかけたところで終了。ノルマ達成ならず。自分自身の意志の弱さを新年早々痛感したのでした。
読了した2冊はともに開高健の作品。
先月読んだ「白いページⅠ」に続く「白いページⅡ」と「白いページⅢ」。ある月刊誌に連載していたエッセイを集めて収録したもの。再読、だと思う、多分。以前も読んだよな~と思いながら読み進める。開高健を読む目的はストーリーや知識ではありません。実際にこのエッセイが書かれたのは40年ほど前のこと。描かれている時代感は全く異なる。しかし、それらは全く問題ではないのです。あくまで小説家が織りなす文章自体を味わうことが目的ですから。読み捨てられるインスタント食品のような書籍が氾濫するなか、正統な食材で手間をかけて作った本物の食事。金額の高い安いではない、本当のご馳走を堪能した。そんな読後感。インスタントしか知らない人には分からないだろうなぁ・・。
ところで「白いページ」という題は、出たとこ勝負で、思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていることをその場その場で書くということから名付けたと本文中で語られている。何とも秀逸なタイトル。そして、私は非常に共感出来る。しかし、それは「いわば過去の、体内にひそむイメージの果実を、居食いし、座食して」「おろしたての乾いたタオルをしぼって水滴をひねりだすような仕事をしいられたように感じる」と小説家はエッセイの連載を終えるにあたって吐露している。立場は違えど分かります、その感覚。小説家の表現を借りるなら、私も利息を全て食べてしまい元金だけになりました。もう、白いページを埋めることが難しくなってきました。この元金に利息がつくにはまだしばらく時間がかかる。そろそろネジを巻き直す必要がありそうでして・・。