周利槃特の物語

周利槃特の物語
たまにこういう本も読むと心が洗われる気がします。

昨日、「茗荷(ミョウガ)を食べると物忘れをする」という俗説を紹介しましたが、その話の続き。その俗説の由来は、昔、物覚えの悪いお坊さんがいて、そのお坊さんの死後、そのお墓に生えた草が茗荷だったという話だと云われている。またその話から派生して作られたのが「茗荷宿」という落語。そこまではよく知られた話。

ところで、その「物覚えの悪いお坊さん」とは?高野覚昇氏の「般若心経講義」を読むと、釈尊のお弟子の周利槃特(しゅりはんどく)だとされる。周利槃特は時々自分の名前さえ忘れることがあったので、名前を背中に貼っておいた。それが「名を荷う」というところから「名」に草冠をつけて「茗荷(みょうが)」とされた。それだけなら大した話でもないが、その後に続く話がいい。

ある日、周利槃特は自分の愚かさを嘆き、釈尊に悩みを打ち明けた。それに対して釈尊は、「愚者でありながら、自分が愚者たることを知らぬのが本当の愚者である。お前はちゃんと己の愚者であることを知っている。だから、本当の愚者ではない」と応え、周利槃特に「塵を払い、垢を除かん」という1句と1本の箒(ほうき)を与えた。正直な愚者周利槃特は真面目にこの句を唱え思案しながら多くのお坊さんの履物を掃除し続けた。そして永い年月を経た後、皆から愚者と冷笑された周利槃特は、ついに己の心の垢、心の塵を除くことが出来た。つまり悟りを開き、釈尊に大衆の前で「神通説法第一の阿羅漢」と称えられるほどの存在になった。釈尊によると「悟りを開くということは、決して沢山のことを覚えるということではない。例えわずかなことでも小さな一つのことでも、それに徹底しさえすれば良いのである。見よ、周利槃特は箒で掃除することに徹底して遂に悟りを開いたではなないか」と言われた、という話。深くていい話でしょう。

この「般若心経講義」は1年ほど前に読んだ本。昭和27年初版というから60年以上前の本ですが、古さを感じさせない面白い本です。高野覚昇氏の博識ぶりに感嘆するとともに、その博識ぶりが縦横無尽に展開し、やや論点が霞む感じも正直受けた。しかし、線香臭さも無くオススメの本です。興味のある方は是非。


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