大台

大台
本日、メールマガジン第23号を配信させていただきました。一個人としては息切れ感もありながら、配信件数自体は順調に伸び、今回で1万件の大台を突破。ありがとうございます。お陰様です。引き続き「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」をモットーに、ボチボチ取り組む所存であります。



休日、インドアな過ごし方はあまり好きではない私ですが。合宿サーフィン宿泊ツーリングと続き、たまには家に居ようかな、と思った。そんな昨日の日曜日。
大台
まずは10日ほど前から読み始めたドストエフスキーの「罪と罰」の残りを読了。内容についてどうのこうの語るつもりは毛頭ありません。というか出来ません。キリスト教を知らない人間には本当の理解は得られないでしょう。自分の言葉で咀嚼するのは、いつか再読してから。その時は別の訳者の版で味わい直してみたい。

しかし、「読み終わるのに半年かかった」「読みにく過ぎる」「登場人物が訳分からなくなった」「途中で嫌になって投げ出した」とも聞くドストエフスキーの作品。私は単純に面白いと思いました。そして読了後の達成感と深い余韻があります。


そんな余韻に浸りながらにピッタリの作業は・・と。
大台
やはり靴磨きでしょう。ラスコーリニコフ、ソーニャ、マルメラードフ、ラズミーヒン、ルージン、ポルフィーリー、スヴィドリガイロフ、それぞれの言葉、そして各々とんでもなく長いセリフを反芻ながら没頭。
大台
満足です。古いものだと7~8年は履いている靴も丹念に磨くとこの通り。愛着が深まります。しかし、「罪と罰」の登場人物たちのクドいセリフが頭から離れません。ドストエフスキー縛りということで、さて、次は「白痴」か・・


無理・・。やはり、ドストエフスキーはクドい。連発はキツい。お口直しが必要。
大台
ということで木村盛武の「慟哭の谷」を手に取る。101年前のちょうど今頃である大正4年の12月上旬、北海道三毛別で起こった史上最悪のヒグマ襲撃事件に関するノンフィクション。同事件をモチーフにした吉村昭の「羆嵐」(あのヒリヒリとしたハードボイルドは良かった!)を読んだ後だと、より理解が深まる。また、開拓農民の悲哀ということなら開高健の「ロビンソンの末裔」にも通じるところがある。
大台
午前中はポカポカ陽気。家の中にいるよりウッドデッキに出たくなった。時間の流れ方が気持ち良い。ドストエフスキーの濃さに比べれば、200ページほどのライトなノンフィクションは流動食のようなもの。2時間ほど、昼過ぎには読了。
大台
ここは私にとっても、家族にとっても、お気に入りの場所。ウッドデッキの柱を背もたれにして、コーヒーを口にしながら、気ままにページをめくる。時折、庭木や花や畑の緑に目を休ませる。たまには、こういう時間もいいかも。まあ、滅多にないが。


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